ブログの更新で留意していること
2004-08-30 Mon[ブログ]
ここ連日、JUGEMが23時過ぎからつながりにくい状況が続いている。こちらしかご存じでない方は、どうか毎日考のミラーページもブックマークに…などと宣伝。しかし、いつまたログインできなくなるかという状況下で日記を更新するというのも、スリルがあっていいものですな。どうですかおひとつ。
うーん、しっかしすごい風。ガラス割れそう。
今日のひとつめの日記「日記書きさんへの100の質問(81)〜(100)」で、
91.日記を書くにあたり、自分なりのこだわりがあったら
という質問があった。
その回答について、もう少し書いてみようと思う。
「読み手に読みやすく」
「読み手にやさしく」「わかりやすく」と言い換えてもいい。
要は、アクセシビリティだ。
一番に目に付くのはフォント。
いつも書いているが、ブログをさまよっていて困るのが小さい固定フォント。Windowsの拡大鏡使えってか。それに加えて目に優しくない配色を使っていたら即・撃沈。そこにどんな有益な内容が書いてあろうがページは閉じてしまう。私ほどでなくても、目の良くない方にとっては困ることもあるはずだ。以前、弱視の方向けやホームページリーダー用のサイトも作っていたので、ことさら思い入れが強いのかもしれないけれど。
そしてページの構成。どこに過去ログがあって、どんなカテゴリがあって、作者にコメントをしたいときや連絡を取りたいときは…。日記の内容もさることながら、アクセシビリティに優れているサイトは閲覧者に好まれる。Web制作でも同じことだ。
ブログを書いている貴方は、閲覧者の立場で自分のブログを見てみたことがあるだろうか。そして閲覧者を想像したことがあるだろうか。同世代かそうでない人か。同性か異性か。閲覧者の顔が見えている作者さんというのは、閲覧者にとってみても優しいのである。
「読み手を嫌な気分にさせない」
こびを売るんではない。
ただ、毒づいているばかりの文章を見て、毎日でも読みたいと思えるかどうか。「読みたくなければ結構です」と言われて、次の日も来たいと思えるかどうか。
ブログだから日記だから、顔が見えないからいいというのではない。文章はもうひとつの自分なんであるからして。
「客観的に書く」「あまり感嘆符を付けない」
これは私の文章に関しての話で。
感嘆符のほか、顔文字や(笑)・(爆)などもあまり使っていないしテキストいじりもしていない。私が笑うのではなく、行間を読みとって読み手に笑って欲しいから。といって特に笑える文章は書いていないけれど。
しかしみんながみんな、そんな平淡な文章を書いていたらブログをさまよっていてもあまりおもしろくないんだろうな。(と、いうことは…)
「日記の更新に義務感を持たない」
義務感を持ったときが、私が日記を終わりにするときだと思っている。だって、好きで書いているんだから楽しまなくては。自分が楽しめずに、更新のためだけに無理矢理ひねり出すような文章は、たいがいにして出来がよろしくない。そうでないときも出来がよろしくなかったりする。ほっといてちょうだい。
「脳内の引き出しはたくさん持つ」
日記の更新に関係なく、これは人間としても大切なことだ。引き出しの多い人は話をしていてもおもしろいし魅力的。だから新聞代くらいはケチらずに購読するし(どうせ飲み代1回分くらいだ)、広く浅くニュースを仕入れようとしている。もちろん、一つの事柄を深く掘り下げている人だって魅力的なのだけど。
もうひとつ、「内容に即したタイトルを付ける」というのも重要なことだ。検索エンジン対策ももちろんそうだが、ブログのポータルサイトなどを見る人にとっては、やはりタイトルで読むブログを決めるだろうから。「無題」よりは「すげぇ!バックブロード」のほうが読みたいと思う…よね?ね?
あとは、なんだろう。
ひとりよがりの文章にならないとか、なくても通じるセンテンスは極力削って簡潔に、なども挙げられるだろうか。だから、ブログを更新するときはかならずエディタで下書きをし、アップロードする前には数回読み返して確認する。誤字・脱字や国語的な間違いはもとより、より読みやすくわかりやすい文章に近づけるためだ。あっ、ストイックな自分にちょっと惚れそう。
てな偉そうなことをぶちまけながら、分かる人にしか分からない趣味に走りすぎた文章というのもあるわけだけども。自分、不器用っすから。
うーん、しっかしすごい風。ガラス割れそう。
今日のひとつめの日記「日記書きさんへの100の質問(81)〜(100)」で、
91.日記を書くにあたり、自分なりのこだわりがあったら
という質問があった。
その回答について、もう少し書いてみようと思う。
「読み手に読みやすく」
「読み手にやさしく」「わかりやすく」と言い換えてもいい。
要は、アクセシビリティだ。
一番に目に付くのはフォント。
いつも書いているが、ブログをさまよっていて困るのが小さい固定フォント。Windowsの拡大鏡使えってか。それに加えて目に優しくない配色を使っていたら即・撃沈。そこにどんな有益な内容が書いてあろうがページは閉じてしまう。私ほどでなくても、目の良くない方にとっては困ることもあるはずだ。以前、弱視の方向けやホームページリーダー用のサイトも作っていたので、ことさら思い入れが強いのかもしれないけれど。
そしてページの構成。どこに過去ログがあって、どんなカテゴリがあって、作者にコメントをしたいときや連絡を取りたいときは…。日記の内容もさることながら、アクセシビリティに優れているサイトは閲覧者に好まれる。Web制作でも同じことだ。
ブログを書いている貴方は、閲覧者の立場で自分のブログを見てみたことがあるだろうか。そして閲覧者を想像したことがあるだろうか。同世代かそうでない人か。同性か異性か。閲覧者の顔が見えている作者さんというのは、閲覧者にとってみても優しいのである。
「読み手を嫌な気分にさせない」
こびを売るんではない。
ただ、毒づいているばかりの文章を見て、毎日でも読みたいと思えるかどうか。「読みたくなければ結構です」と言われて、次の日も来たいと思えるかどうか。
ブログだから日記だから、顔が見えないからいいというのではない。文章はもうひとつの自分なんであるからして。
「客観的に書く」「あまり感嘆符を付けない」
これは私の文章に関しての話で。
感嘆符のほか、顔文字や(笑)・(爆)などもあまり使っていないしテキストいじりもしていない。私が笑うのではなく、行間を読みとって読み手に笑って欲しいから。といって特に笑える文章は書いていないけれど。
しかしみんながみんな、そんな平淡な文章を書いていたらブログをさまよっていてもあまりおもしろくないんだろうな。(と、いうことは…)
「日記の更新に義務感を持たない」
義務感を持ったときが、私が日記を終わりにするときだと思っている。だって、好きで書いているんだから楽しまなくては。自分が楽しめずに、更新のためだけに無理矢理ひねり出すような文章は、たいがいにして出来がよろしくない。そうでないときも出来がよろしくなかったりする。ほっといてちょうだい。
「脳内の引き出しはたくさん持つ」
日記の更新に関係なく、これは人間としても大切なことだ。引き出しの多い人は話をしていてもおもしろいし魅力的。だから新聞代くらいはケチらずに購読するし(どうせ飲み代1回分くらいだ)、広く浅くニュースを仕入れようとしている。もちろん、一つの事柄を深く掘り下げている人だって魅力的なのだけど。
もうひとつ、「内容に即したタイトルを付ける」というのも重要なことだ。検索エンジン対策ももちろんそうだが、ブログのポータルサイトなどを見る人にとっては、やはりタイトルで読むブログを決めるだろうから。「無題」よりは「すげぇ!バックブロード」のほうが読みたいと思う…よね?ね?
あとは、なんだろう。
ひとりよがりの文章にならないとか、なくても通じるセンテンスは極力削って簡潔に、なども挙げられるだろうか。だから、ブログを更新するときはかならずエディタで下書きをし、アップロードする前には数回読み返して確認する。誤字・脱字や国語的な間違いはもとより、より読みやすくわかりやすい文章に近づけるためだ。あっ、ストイックな自分にちょっと惚れそう。
てな偉そうなことをぶちまけながら、分かる人にしか分からない趣味に走りすぎた文章というのもあるわけだけども。自分、不器用っすから。
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