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読むということ(1)

2002-11-07 Thu[メディア > 本・漫画・読]

最近、本読んでる?と会社の男の子に聞いたところ、今は読んでいないけど、前は良く読んでましたよ〜とそのまま読書談義になってしまいました。あの人のこの本は面白いとか、この本はこういう筋だよとか。これだけ映像やネットというメディアが浸透していても、まだまだ「本」というメディアは健在ですよね。

そもそも 雑誌や出版関係の編集をしている母の影響か、私は物心付いたときから文章を読むということにあまり抵抗感を感じずに過ごしました。小学校で配られた国語の教科書はもらったとたんに読破していたし、学校の図書館では江戸川乱歩の推理小説やら物語やらを読み尽くしてもう読む本が無くなってしまい、最後の方は特に興味もなかったのに「バレーボール入門」とか読んでいました。高学年になって塾に行くようになると、参考書のコラム欄はやはり読破。社会の参考書は特に面白かったですね。(つーか中身を読め)

国語の成績をあげたければ ですので、受験としての国語には困らなかったのです。本を読めば、どうしても漢字の読み方を覚えざるを得ないし、いろんな言い回しも覚える。「ところが」が逆接の接続詞だとか、そんなのは覚えないといけませんが(なので文法は苦手だった…だって意味が分かって読めればいいじゃん)、多く文章を読めば読むほど、文章の読解力や理解力は自然に付いていきます。これぞネイティブスピーカーならぬネイティブリーダー。

受験国語 話がずれますが、大学の受験国語というのはまた特殊です。数学のように理論的に文章を読み解くことが必要とされます。ですから、そういう解き方なんかは逆に理数系の人の方が得意なんではないかな〜と思います。変な話、出題された文章を全部読まなくても解答はできます。逆に全部読んでいては時間が無くなってしまうし、読む必要もないからです。そんなテクニックは、大学受験時にたくさん教わりました。でもそれって本来の国語の主旨とはかけ離れているような気がして…だから、受験国語は嫌いです。

読書は大人になってから生きてくる 日本人である以上、日本語を読むという動作は絶対についてまわります。ネットの文章を読む、新聞を読む、雑誌の文章を読む。「読む」ことに慣れている人といない人とでは、書かれていることを理解したり把握したりする速さにも違いがあるのではないかと思います。

多くの文章を読むということは、人間の幅を広げることにもつながります。小説や物語、読み手はいろいろな登場人物の立場になって、または書いている人の気持ちになって様々な経験をします。部屋のベッドにいてエベレストに登ることも可能なら、電車で揺られつつ組織のスパイとなって諜報活動をすることも可能。今までは思いも寄らなかった主張に同感することも、全く違う観点から物事を見られるようになることも。もちろん、それがどんな雑学的な分野であろうと、知識を増やしてくれるというのは言うに及ばず。

読解力は文章力。(か?) いろいろな人の様々な文章に触れる―それは自分自身の文章力を高める結果ともなります(もちろん、読書だけではなく「見られる」ということも重要な要素ではありますが)。もし今書いているこの文章が読みやすいと感じていただければそれは、いろいろ本を読んできたからかなあとも思うし、ここの言い回しはあの作者さんそのままじゃんみたいなのも…まあ芸術は模倣から始まっていると言うしそれは心の中でつっこんでいただくとして。

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