小学生が犠牲となる、痛ましい事件が続いておりますね。
連日、新聞やニュースの報道を見ては「なぜ抵抗もできないような子供を、そんな理由で…」と憤っております。子供さんをお持ちの方ならなおさらでしょう。今は、学校でも塾でも安心できないらしいですよ。こわいですねえ。
私が子供の頃は、防犯ブザーを携行するなんて習慣はありませんでした。
学校帰りや塾帰りには平気で寄り道していましたし、クラブ帰りの暗い夜道を一人で帰るのも普通のことでした。外国では行き帰りの付き添いを家族がするのは普通のこと…とかいう記事、特に最近は新聞の投稿欄などで良く見ますが、ともかく自分の時代はのんきなものでした。とはいえその頃だって誘拐事件なんかはあったわけで、ラッキーだったというだけかもしれませんが。
ところで、唐突ですけど。
人を殺したいと思ったことはありますか?
私はNOです。
そういうシチュエーションになったことも、この人さえいなければ…と存在すら許せないほどの怒りを感じたり、いっときの激情に駆られたりしたことも、今まではありません。とりあえず今は。そこまで人に感情移入していないからかもしれませんけどね。でもそれは生きていれば、いつかはのた打ち回るような、身体を引きちぎられそうな憎しみを感じるときだってあるかもしれません。人間ですから。感情があるのですから。
この質問に対しての答えというのは、人によって多種多様だと思うのです。
それでは、人を殺してみたくなったことありますか?
これもNOです。
なぜ、人を殺したくならないのでしょう。
人を殺すシーンのあるドラマ、映画、アニメ、ゲーム、これだけ周りには溢れているというのに。機械に乗って敵をばっさばっさと打ち落としたり、生き延びるために殺しあったり、地球を救うために悪人を殺したり。なぜ感化されないのでしょう。なぜ自分もやってみたくならないのでしょう。ゲームのように人を殺すことは、実際やってみたら爽快で楽しいことではないんでしょうか?
ここで、「わかるわかる」「そうだよね!」と思う方ならわたくし、お友達になりたくありませんよ。うん。
それは、自分には想像力が働くからです。
自分に置き換えることができるからです。
もし自分が刺されたら痛いだろうな。
痛いっていうか、死ぬだろうな。
死ぬのは嫌だな。絶対。
相手も痛いだろうな。苦しいだろうな。
相手に構わないとしても、刺した後はどうなるだろう。
一生犯罪者として生きていくんだな。
それともうまく逃げおおせるだろうか。
いや、映画やテレビのようにうまくいくことはありえない。
もし逃げられたとして、楽しいことなんて一つも無いに違いない。
心からの幸せな時間なんて味わえないに違いない。
親も友達も悲しむよな。
殺した相手にも、そういう存在がいるんだろうな。
血がいっぱい出るのを見るのも嫌。
薬飲んで苦しんでのたうちまわるのを見るのも嫌。
ぐしゃりと潰れた姿を見るのも嫌。
体からいのちが抜けてぐたりとした姿を見るのも嫌。
それらを想像するのも嫌。
自分がそうなるのも嫌。
親兄弟、親しくて大事な人がそうなるのなんて、もっと嫌。
いくらメディアで残虐なシーンが流れようとも、実際自分でやってみようと思わないのは、「人を殺す」という言葉で、これら全部がごっちゃになった感情が働くからにほかなりません。もちろん根底にあるのは、倫理的な(人は殺してはいけないという)刷り込みかもしれませんが。だいいち、親から「人は殺してはいけないものなのよ」と教わって育てられた方ってあまりいないでしょう? 物心ついたときから、そういうものだと思ってきたでしょう。
ちなみに、サルサにこれを吹き込んだのは祖母です。
「Gメン」とか見てましてね、最後はだいたい、警察が犯人を車で追っかけまわすじゃないですか。それを見ていっつもいっつも祖母が言っていたのです。
「サルちゃん、日本の警察はすごいねえ優秀だねえ、絶対捕まっちゃうんだよ。悪いことしても絶対逃げられないんだよ。すごいねえ」
ばーちゃん、今は「踊るナンチャラ」っていう警察ドラマがあってね。警察機構ってすごく階級的でね、腐敗しててね、びっくりしちゃうよ。時代は変わったねえ。
優しかったおばあちゃん、おばあちゃあああ
そういうわけで私が言いたいのは、日常生活や人とのつながりにおいて、想像力ってすごく重要だってことなんです。わたくし、ひとりっ子だったせいもあって想像とか妄想とか得意です。想像は得意ですが創造力はありません。人まねが得意です。どうでもいいですけど。
あと、わたくしが人を殺せない理由があります。
こう見えましても、わたくしすごく小心者でしてねえ。
なにかやらかして「警察だー!」とか言われたときに、「にゃにおぅ!こいつはお上の名を騙る不届きモノ。野郎どもやっちまえ!出会え出会え!…」と啖呵を切ったところで加勢に出てくる野郎どもがいませんし、「ここは警察じゃないよぉ〜」とかボケられませんし、たぶんその場でおしっこチビっちゃうと思うし、だいいちパンツの替えを持っていないので困ります。
しょうがないので、用意周到な私はコトに至る前にコンビニにパンツを買いに行きます。でもパンツだけ買うのは恥ずかしいので、雑誌とか新商品のポテトチップスとか、コーヒーとか買っちゃったりします。レジに並ぶと「700円で1回くじが引けますよ〜」なんて言われてしまい、くじを引くわけです。すると、「この券3枚でラスカルの絵皿プレゼント!」なんていうのを出しちゃうわけです。ラスカルだったら欲しいです。欲しいので、3回出すまではコトに及ばないことにします。2回目にコンビニに行くと、あたたか〜い飲み物のコーナーにサザエさんフィギュアのオマケが付いてるウーロン茶があるわけです。6個集めるとコンプリートです。そういうわけであと6回はコトに及ばないことにします…なんてやってるうちに、たぶんコトに及ぶこと自体忘れているという按配で…
これがザッツ想像力。グッジョブ。
そいではまた〜
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