「よそはよそ、うちはうち」
2006-06-06 Tue[コラム/雑記]
一人っ子のわりに、甘やかされて育ったという意識がない。
これはひとえに、母のおかげだと思う。
今考えれば、母も必死だったんだろう。
可愛い可愛い小サルサ子につぶらな瞳で「これがほちぃの♪」とねだられたとき、どんな思いでそれを退けたか。考えただけで切なくなると言うものだ。なるでしょ。なれよ。ね。
私はあまり、親に何かをねだったり、強引に甘えたりだだをこねたりということをしない子供だった。一人っ子だから、回りに手本になるようなのがいないから、どう自分の感情を出したらいいもんかわからなかったのだ。とにかく厳しくしつけられたし、高校生くらいになるまで口答えというものができなかったくらいなのだ。いやホント。
なのだが、たまにどうしても欲しかったものがあれば子供だから、ねだりたくもなる。
「だって、○○ちゃんは持ってるもん」
「■■くんは買ってもらったんだって」
それらにことごとく母は答えたものだ。
「よそはよそ、うちはうちなの」
これを言われるとアウト。
それ以上何も言えなくなってしまう。
昔は、何かを持っていないからと言ってはかばかしくいじめられたり、友達を無くすようなことはなかった。今なら、携帯を持っていない、自分用のパソコンを持っていない、DSを持っていない…。疎外感を恐れる今の子供たちの間の付き合いは、そんなことで決まっていくんだろうか。
ああ、自分にも最近あったな。
友達に「携帯メールで連絡を取るのがめんどくさいから●ixiやらない?」と誘われて、「自分は仕事が忙しいし、そうでなくてもブログで手一杯なので余裕がない。わりーけど、これからも愛の携帯メールを送ってね」と返したら、それから連絡がなくなった…ってなことが。それで疎遠になるようなら、それまでのことなんだろう。疎遠になりたくない友達なら自分からどうこうするけど、その気がないってことはつまり、そういうことなんだろうね。
子供が育っていって、「お母さん、○○を持っていなくて、いじめられるんだ」と言われたとき、果たして私はうまく伝えられるだろうか。納得する答えを見つけてあげられるだろうか。
けれど、私はやはり言うのだろう。
母が、私にそう言ったように。
私に有無を言わせなかった、そのことばを。
よそはよそ、うちはうちなのよ、と。
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